珍々会ロゴ

【珍々会の頭文字『CCK』を元にデザイン。珍々会の特徴は、チームの結束力。特に、マネージャーの支えが今日の珍々会を作ったと言っても過言ではない!「K」マークの左はプレーヤーを表し、それを支えている右側がマネージャー。「CC」は子供を表して、全体的にはファミリーチームをイメージしている。 】

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第1章 珍々会誕生

1998年春…

それは、堺市の小学校教師の同期仲間から始まった。
初めは、「バスケットチーム」にするか「サッカーチーム」にするか迷うほど安易な気持ちのチーム結成。
名前を聞いてもどれほど適当に始まったチームであるか誰でも分かる。

初代メンバーは、迫川を筆頭に、今村高山山本石田渡辺島原&その彼女達…
サッカー経験者も少なく、本当に素人集団。試合をしても良い成績を残せずにいた。
ただ、仲間を思いやる結束力はずば抜けていた。しかし、このチームに転機が訪れる…

第2章 出会い

1999年3月

それは迫川の一本の電話からはじまった。珍々会と藤原との出会い…
藤原はその当時の事をこう語っている。

高校の同級生であった迫川から土曜日の晩に突然電話があって、
広光〜、明日フットサルの大会あるねんけど、人数不足やから来てくれ!」
それだけを告げて電話を切られ、「暇だったし、まっいいか〜」って簡単な気持ちで引き受けたよ。
まさかこんなことになるなんてね…

その日は、珍々会にとって奇跡の一日となった。Q’sトーナメントに優勝したのである。
それはまさに、珍々会にとって初めて手にする勲章だった。
しかし、そこに参加できなかった山本はこう語っている。

俺の代役で来た奴が出て、いきなり電話で優勝したって聞かされてショックだったよ。
ホンマどんな奴やねん!一度会ったらいてこましたろうって思っていたけど、
でも会ってみたら、カッコイイしめちゃめちゃイイ奴やねん。
いっぺんに好きになってしもうたわ。
でもまぁ今、広光君が珍々会の一員であることも、それによってチームが強くなったことも、
なんやかんや言って、俺がその日に用事でいかれへんかったお陰や。
みんな俺に感謝し〜や〜。

その日以来、確実に珍々会は強くなっていった。
それまで、GK渡辺を最後の砦とした高山今村を中心に守り、
迫川
のカウンターによる得点パターンだったものが、
藤原が2列目に入る事によって多彩な攻撃パターンになった。
しかし、順調に強くなっていった珍々会は、新たな壁にぶち当たったることになる。
それは、守りのキーマン今村の故障による離脱…
点取り屋迫川の足のケガによる不調…
チーム力は、その日の藤原のコンディションに大きく依存するようになっていった。

しかし、こんなチームに救済すべく一人の男が現れた。山口の出現…
この男が珍々会に加わり、また一歩珍々会はチーム力を上げた。
しかも、安定力という強い武器を加えて。

第3章 悩める男

それからの珍々会は、負けの少ないチームになっていった。
大きな大会の予選に出場しても、予選を勝ち抜く安定した力。
リーグ戦でも上位チームを苦しめる粘り強さ。

GK渡辺の安定したセービング。高山の冷静で鉄壁な守備。
フルタイム攻守に活躍できる山口の体力と的確な試合運び。
誰もが認める藤原の個人技と得点能力。島原の苦しいときに点数が取れるシュート力。
サッカー経験の無かった石田の個人技術の向上と強烈なトーキックシュート。
そして、チームキャプテン&点取り屋迫川の突破能力。

その中で、山本は悩んでいた…
まったく上達しない自分にイラだっていた・・・

しかし、そんな山本に人生にとっても大きな分岐点がやってきた。結婚!
その日を境に、山本の目の色が変わった。
絶対に他の奴をあっと驚かせるくらいに上達してやるという執着心。
少しでも分からなかったら誰かに教えてもらおうとする向上心。
短期間に間違いなく点取り屋山本へと成長していった。

それはチーム内だけでなく、山本を知る他のチームの人も分かるほどのものであった。
と同時に、珍々会メンバーにまだ強くなれるという雰囲気をもたらした。

第4章 変革

2000年・・・珍々会は、活動を拡大していった。
積極的に練習も行い、フットサルへの研究も熱心になった。
そして関西でその名前は、少しづつ知られるようになり、
いつしか『強いチーム』と言われるようになっていた。
また、メンバーに若い力が加わり、充実した結果を残すようになった。しかし・・・

2001年3月・・・あるチームとの敗戦から重大な事が明るみになった・・・

試合の反省材料にビデオを撮るようになってから初めて大敗したその試合、
ただ相手チームが強かったから大敗したと思っていた。
しかし、ビデオはある事実をチームに突きつけた・・・

それまで、珍々会のフォーメーションは1列目/2列目/ディフェンスという、
2−1−1のシステムを取っていた。
そのある事実とは、前2人によるディフェンスのお粗末さ・・・
このことがフットサルでは致命的であることを初めてその試合で気がついたのである。

それから珍々会の変革が始まった。
攻撃は、PIVO/ARA/FIXOの役割を決め、徹底した動きを練習した。
ディフェンスは、フルコートマンツーマン。体力が要求されるようになった。

それまで個々個人のひらめきで試合運びをしてきたチームには辛い変革であった。
思うような試合結果を残せない時期もあった。
メンバー間にチーム方針の食い違いから亀裂が入った時期もあった。

第5章 葛藤

徐々にフットサルが世の中に普及し始め、
気がつけば珍々会もその波に乗り成長し始めていた。

フットサルの動き。それはもはや思いつきやサッカースタイルでは、
到底追いつけないほどシステマティックで独特のものであることにみなが気づき始めていた。

そこで生まれたチーム内の葛藤。

「楽しいフットサル」を取るか、「勝つためのフットサル」を取るか…。

考えは大きく分かれた。

創設当時のメンバーの意見、次々と入部した若手メンバーの意見…。
全員の意見が一致するということは、やはり難しかった。

様々な意見をぶつけ合い、出した答え。

それは「勝つためのフットサル」であった。

そしてそれは同時に「大阪府リーグ」参戦への決断を決定づけることでもあった。

第6章 成長

『大阪府リーグに参戦する。』

この決断は『強いチーム』と囁かれる珍々会の看板を背負って
参戦するという責任とプレッシャーを生むこととなった。

フットサルへの研究は、さらに熱心になっていった。

藤原を中心に、様々な練習を取り入れるようになった。

PIVO当て、エイト、セットプレーやコーナーキックのサインプレー…。
チームとして作戦を共通理解することで、珍々会はさらに大きな成長を見せた。
特にコーナーキックのサインプレーは、大きな得点源となっていった。

練習ではおもしろいように決まるプレーに、選手達は自信を深めていった。

「府リーグも、いけるんちゃうん?」そう思いながらの参戦。

しかし、現実は決して甘くはなかった…。

想像を超えたDFのプレッシャー。思うようにボールをキープできない。

パススピード。ちょっとしたミスは即失点に繋がった。

しかし、全く何もできないわけではなかった。

練習してきたセットプレー、藤原拓弥らの個人技、生かせることはたくさんあった。

府リーグに参戦することで、チームの長所・短所が明確になり、
それを埋めるためのさらなる練習が始まった。

第7章 進化

チームの進化と共に、次々と若手選手が入会し始めた。

各ポジションに二人以上は SET できるほどにまで成長した。

そのどの選手も共通した意識を持って試合に臨めるためには、
週に一回の練習が本当に大切となった。

基本練習から、シュート、紅白戦…そこでも高い意識を持ち、今も練習に励んでいる。

しかし、いつでも珍々会の基本にあること。

それは「 Futsal を楽しむ」こと。

「府リーグに対する熱い精神」と「紅白戦・ ONEDAY 大会に対する楽しむ精神」を両立させながら、
珍々会は今も進化を続けている…。

<つづく>